思い出した戦時中

戦時中、高松から船に乗って、父の面会に青野ヶ原とか姫路のお城の下へも行ったことがある。

姫路は周りが野球場の観覧席みたいになっていて、まん中の運動場に大勢の兵隊さんが、ザクザクと整列して歩いて入ってきて、私たちは父の姿を見つけてどうしたんだろう。とにかく無事に父に会うことが出来た。

父に面会した後、一旦播州の祖母の家に泊まるため、姫路からバスに乗った。バスは北条の本町の停留所に着くのだが、途中の何とかの坂で動かなくなって全員が下ろされて、大人たちは後ろから押して上がったのかな。寒かったと思う。どなたかが綿入れのちゃんちゃんこを貸してくださって、それを北条まで着ていたと思う。バスを降りるともう真っ暗な夜。母は妹を背負い、姉と私は手を繋いで2.5キロの道を歩いた。今みたいなきれいな道ではなく、砂利道。車もなぁんにも通らない真っ暗な道。掘割の向こうの山に明かりがちらちら。なんだか怖ぁかった。祖母の家についても明かりは一つ。お風呂も納屋の角の暗あいところ。ことぼし一つでお風呂に入る。お布団も冷たーい。でも祖母は精いっぱいの歓待をしてくれたのでしょうね。

青野ヶ原は従妹が自転車に乗せて行ってくれたとおもう。母はどうしたんだろう。朝早くから歩いて行ったのかなー。そこの記憶はない。姉も妹も母もどうしたんだろう。