終戦後

サツマイモを蒸して薄く切って干す。クチャクチャかんで食べる。結構甘かった。小さなサイコロ状に切って、飴みたいに紙に包んで、みんなに上げて、なんだか優越感を持っていた。

天皇皇后のお写真が祭ってある奉安殿というのが、校門を入ったところにあった。奉安殿と言っていたと思うが、字が正しいか知らない。その前を通るときは最敬礼をして通った。何か式典があるときはそこから講堂の真ん中にお写真を飾る扉があって、そこに持ってこられていたと思う。ある日子供たち全員が整列して、校長先生がお写真を持って、人力車に乗られたお姿を最敬礼をしながら見送った。どこへもっていかれたかは知らない。

小学校三年になる春休みに、四国の高松から播州北条に帰ってきた。帰ってきたというのは播州北条は父の故郷で、祖母が一人暮らしていた。3反あまりの田があった。農地解放とやらで小作に出している田は全部没収されるとかで、急遽 帰ることになった。

新学期、転校生はみんなの前でぺこりと頭を下げた。次の日その教室へ入ると、昨日と全然違う友達がいて「ええっこれなにっ」って泣きそうになった。実はそのころ疎開と言って都会から大勢の子供たちが田舎の学校へ転校してきていた。教室が足りなくて、確か酒見寺かなー、住吉神社の拝殿だったかで私たちのクラスは勉強していた。東高室~北条まで2.5㌔の道矩を毎日通うことになった。そんなこんなの終戦後。