最後の籾摺りをした

今年最後の籾摺りをした。予定していた通りのお米があった。

ある人と予約をしている。毎年のことだが、最初にお金を全部分頂いて、持って帰る都度記帳して、一つずつ減らして行き残高表示している。エクセルで行うので、ママ大体正しく記帳されている。時折あと何個残っているという勘定が、先方と食い違うことがあって、気まずい思いをする。が最後は先方の言うとおりに落ち着く。

そこで今年は、持って帰る都度お金をもらうことにした。

と言うのも、「いっぺんに全部持って帰って」と言ったら、「置くところがない。」と言うので「冷蔵庫買いんか」と言ったら「冷蔵庫買うぐらいやったら、農協へ行けばいつでも売ってくれる」とまあ、こんな具合で、なんだか買ってあげているといった感じがして、これも気まずい思いになった。

いつも安くておいしいお米を食べていて、連絡を入れてとりに来るのが嫌なのか、お金先に払っているという気持ちがそうさせていたのか、、、。

それでもって、「なんでえらい目してお米つくるの」と来た「営農組合に任せばいいのに」、、、、。農協で買えばいつでもある。イオンで野菜を買えば楽して安くで手に入る。そんならだれが作ってくれてるの。やっぱり誰かがえらい目に合ってるんと違うの。みんなが楽する事ばっかり考えたら世の中、成り立たないのではないの。

相棒は言った。「えらい目しても収穫の喜びは何物にも代えることはできない」と。よく言った。私も同感だ。

なんだか変な世の中になりつつあるね。えらい目する人の報酬が安くて、楽してる人の報酬が高いのは、国全体として考え直さないといけないのではないの。