入院日記3

12月5日 日曜日 ずいぶん前のことです。
 今朝は4時起きして播但会場の朝の集いの講話に行ってきた。帰り着いたのが6時過ぎ、また寝間着に着替えて、知らん顔してベットに。体温は36.5度上々だ。
 朝食が運ばれてきた。私には「みそ汁・野菜の卵とじ・ご飯・ヨーグルト・のりの佃煮・オレンジが3切れ。」だ。
 向かいの母親が怒っていた。「この食事何ですか。少しでも食べさせて帰ろうと思っていたのに。果物だけじゃないですか」看護師の中村さん「すみません。すみません。お粥もってきましょうか」しばらくしてどうやらお粥を持ってきたらしい。母親「これだけですか」看護師「つけるもの何かもってないですか」母親「持ってないです」看護師「何か探してきましょうか」しばらくたって、看護師「こんなんしかありませんが」母親「。。。」
いつの間にか母親は消えていなくなっていた。
 何か食べたのかしら。昨日の夕方も戻していたのに、なにも知らないで、やいやい言って。結局なにも食べていない様である。この病棟の主任看護師の石倉さんがきて、丁寧に説明をしていたようだ。何だかおかしい現象だね。彼女の年齢29才でした。彼女自身がはっきり言えば良いのにねぇ。少し障害があるのかしら。
 トイレの前で看護師さんと出会った。「夕べ大変だったんでしょう」と、訪ねてくださった。鼾のことらしい。「今朝も彼女の母親怒ってたね。無茶ばっかり言って困るね。あなた偉いわ」と言うと「いいえ仕事ですから」と。仕事とは言いながら大変なことですね。
 お昼ご飯を少し残した。ブロッコリーの味の付いてないのと厚揚げの炊いたの。
 朝食、8時 昼食、12時たった4時間しか間いてない。本も二冊も読んでしまったし、何だか頭が痛い感じ。ゲームの仕過ぎだろうか。ディルームで漫才をみて笑った。4時半。
全然お腹が空かない。なにもせずにぼんやり過ごした日は死んだ一日である。死んだ一日にならないように祈ります。
 夕食 見るとすき焼きらしい。いわばグッタ煮。もやしと、どうやらジャガイモの千切りにしたのが炊いてある。お肉はオーストラリア産の臭い肉。これと酢の物 みそ汁(珍しいよ)リンゴ二切れはすべて食べたが、贅沢言う訳ではないが、ご飯の味無いこと。全部すっかり残しちゃった。
 寝る前に看護師さんが回ってこられたので、「昨日は全然寝られなかった。今日は寝られる薬ちょうだい」と、大きな声で言った。向かいのベットには夜の付き添いのため、彼女の母親がきていた。どんな思いで聞かれたでしょうか。